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福商vs徳島商業(徳島) 第82回夏の甲子園大会[2000年]

昨年のシーズンオフには「甲子園への軌跡」として、2000年(第72回)春のセンバツにおける福商ナインの活躍をUp致しました。まだご覧になっていない方、動画(YouTube)もございますので是非下記リンクからご覧下さい。

1回戦:福商vs南陽工業(山口)
2回戦:福商vs北照(南北海道)
準々決勝:福商vs國學院栃木(栃木)

そして今年のシーズンオフは、同じ2000年の第82回夏の甲子園大会の模様を動画を中心に振り返ってみたいと思います。

では早速、開会式の入場行進から。
センバツBest8の自信を胸に堂々と行進する福商ナイン。カッコイイですね!
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まずは試合前の福島大会の結果・学校紹介等の動画はこちら

f0163207_223355.jpg福商不動のオーダー(春のセンバツと同様) 
 1.本田(二)
 2.幕田(左)
 3.小野(三)
 4.阿部(一)
 5.藤川(中)
 6.後藤(補)
 7.芳賀(投)
 8.山田(遊)
 9.小関(右)

いよいよ試合開始。
いきなり先頭打者にヒットを許しますが送りバントを阻止し、後続を抑えてまずまずの立ち上がり。
芳賀選手1回表の立ち上がりの動画はこちら


3回表に試合が動きました。2アウトからライト前ヒットとフォアボールで出したランナーを置き、4番にスリーランホームランを浴び3失点 0-3


福商の反撃は4回裏。
幕田選手がライト前ヒットで出塁。小野選手送りバント成功で1死2塁。4番阿部選手初球をライト右に二塁打。続く5番藤川選手カーブを巧く三遊間ヒットで1点を返して1-3
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幕田選手~藤川選手のタイムリーまでの動画はこちら


なおランナー1、3塁。藤川選手すかさず2盗を決め、ランナー2、3塁。後藤選手のショートゴロで阿部選手が本塁をつくが惜しくもアウト。
2死1、2塁で芳賀選手、見事カーブを叩いて1、2塁間タイムリーヒット2-3、その差1点!

芳賀選手のタイムリー動画はこちら

残念ながら福商の反撃はここまで。これからは小刻みに点を取られてしまいます。

<5回表>
レフトの送球が三塁側にベンチ方向に逸れ、守備の乱れから1失点。2-4
後藤選手が逸れた送球を追い、阿部選手が判断よくカバーに入るが残念ながら及ばず。


<6回表>
芳賀投手打ち取ったかに見えた打球がポテンヒットとなり更に1失点。2-5


<8回表>
ピンチを切り抜けた後にセンターオーバーの2塁打で更に1失点。2-6


<9回表>
フォアボールで出した先頭打者を送りバントをしっかり決められ1死2塁。そしてまたもや4番にセンターオーバーのツーベースで2-7。さらに続くバッターのセンターライナーはセンターの頭上を抜きタイムリーツーベースになり2-8


ここで福商の投手、芳賀選手から渡辺真也投手に交代。芳賀選手はライトの守備へ。
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投手交代後、いきなり初球をセンター前に運ばれ2-9
三振を奪った後、犠牲フライで最後の得点が入り2-10


<9回裏>
代打伊藤選手がサードのグラブをはじく痛烈なヒットを放ち「逆転の福商」の片鱗を見せます。
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本田選手、セカンドへの打球で果敢に一塁にすべり込むが惜しくもアウトでゲームセット。
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2000年春・夏連続甲子園出場を果し、甲子園を沸かせた福商の戦いが終わりました。
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試合後の模様はこちら。


2000年夏の甲子園大会、いかがだったでしょうか?
逆転で沸かせた春のセンバツ大会に比べると、打のチーム・徳島商業に終始苦しい戦いを強いられていた感は否めませんでしたが、Fcマークを付けた純白のユニフォームはやはり甲子園によく似合いますね。近い将来、実際にスタンドで応援する日が来る事を信じています!

TOWA
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  by fukusho9 | 2009-11-24 22:37 | 甲子園への軌跡 | Comments(0)

「プロ野球選手になった福商OB」引地健二投手、石幡信弘投手

引地健二投手 '66夏甲子園出場
福島商 ⇒ '67横浜大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)ドラフト9位指名拒否 ⇒ 駒澤大学進学
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プロの道へは進まなかったのでウィキペディアには情報が掲載されておりませんが、この当時県内ではずば抜けた実力を誇った福商のエースとして君臨。決勝のホームランを放つなど打力にも類稀なセンスを発揮したようです。指名拒否っていうのがポリシーを感じます。
男らしくてカッコイイですね。

石幡信弘投手
福島商 ⇒ 清峰伸銅 ⇒ 富士重工 ⇒ '69横浜大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)ドラフ5位入団

福島商業高校から清峰伸銅、富士重工業を経て、1969年ドラフト会議で大洋ホエールズから5位指名を受け入団。1973年に引退。(ウィキペディアより抜粋)

残念ながら情報があまりありません・・・
横浜時代の背番号は「47」。そう、あの工藤公康投手の代名詞であり、今では各球団とも左腕エースが付けるナンバーです。工藤投手よりもずっと前に左腕として付けていたのですね。

TOWA
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  by fukusho9 | 2009-11-11 22:04 | 福商野球部OB | Comments(4)

「プロ野球選手になった福商OB」森口哲夫投手

森口哲夫投手
福島商 ⇒ 福島郵便局 ⇒ 大映スターズ ⇒ 阪急ブレーブス ⇒ 日本楽器

f0163207_21155100.jpg福商のエースとして怪腕ぶりを発揮したのが昭和28年の事で5つの県大会制覇。
県内では無敵だった。
夏の甲子園を決める東北大会に駒を進めた福商は、準決勝で米沢西高の皆川(元南海ホークス)と息詰まる投手戦を繰り広げ、9回裏に1点を取られ涙を飲んだ。
29年秋には全国郵政大会で優勝。その後、大映スターズに入団して2年間、阪急に移籍して3、4年プレー、昭和36年にノンプロの雄・日本楽器へ移籍。(当時はまだプロからノンプロへの移籍は問題なく行われていた。)
日本楽器では監督としてチームを引っ張り、都市対抗全国大会で準優勝に導いている。
阪急時代の昭和33年に母校が3回目の甲子園に出場した際、甲子園に掛けつけて尾道商戦で後輩たちのプレーに太鼓を叩きながら応援している。その際「福商の敢闘は立派だった。走塁、バント処理など細かいところをよくマスターすれば十分だ」と後輩たちにアドバイスしている。
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さすがにこの時代になると、詳細な記録はあまり残っていませんし、大会の制度や野球界全体が現代とは大分異なっているみたいですね。時代は変わっても、伝統あるFcマークは今も昔も変わらずに輝いて見えます。

TOWA
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  by fukusho9 | 2009-11-09 21:27 | 福商野球部OB | Comments(0)

「プロ野球選手になった福商OB」島貫省一外野手

島貫省一外野手 '74夏甲子園出場
福島商 ⇒ 早稲田大学 ⇒ '80東京読売巨人軍(ドラフト外)入団 ⇒ '84近鉄バファローズ

f0163207_21423526.jpg福島商業高校では2年生の時、全国高校野球選手権大会に出場するも、初戦(2回戦)で大石大二郎(元近鉄)や久保寺雄二(元南海)らがいた静岡商業高校に敗退(1-6)している。
卒業後、早稲田大学を経て、1980年にドラフト外で東京読売巨人軍に入団。巨人軍では、控えの外野手として活躍した。
その後1984年12月、佐野元国捕手との交換トレードで近鉄バファローズに移籍するも一軍戦への出場機会は無く、1985年オフに現役引退。
1軍ではさしたる実績を残せなかったが、2軍(イースタン・リーグ)では、1984年に本塁打王のタイトルを取るなど活躍している。
(ウィキペディアより抜粋)


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我が福商から伝統ある早稲田大学を経て、あのジャイアンツに入った先輩がいたんです!
ジャイアンツ時代の背番号は「37」。そう、あの篠塚和典(当時:利夫)や元木大介が入団時に付けた、今では出世番号と呼ばれている番号です。
ドラフト外入団っていうのも渋くてカッコイイですね!

TOWA
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  by fukusho9 | 2009-11-05 21:54 | 福商野球部OB | Comments(5)

「プロ野球選手になった福商OB」三浦広之投手

三浦広之投手 '77夏甲子園出場
福島商 ⇒ '77阪急(現オリックス)ドラフト2位入団
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1977年、福島商3年生の時に夏の甲子園にエースとして出場し、3回戦まで勝ち進んだ。
1978年に阪急ブレーブスに入団する。同年6月24日に一軍初登板し初勝利。その後は高卒新人としては史上1位となる初登板からの4試合連続勝利を記録するなど、1年目は4勝をマーク。
翌年は先発で19試合を投げて8勝をマークし、オールスターゲームにも出場した。
次の年は3勝するが、1981年からは怪我に泣き、その後1軍で1試合も登板できずに1983年にわずか6年で現役引退。その後はゴルフの選手、コーチとして活動している。
(ウィキペディアより抜粋)
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もちろん自分は全く知らない世代ですが、自分の親や叔父の世代では、古溝選手よりも三浦選手の方が印象強いみたいですね。「毎朝毎晩ランニングしながら家に帰ってたらしい」とかっていうエピソードを聞かされた記憶があります。
プロ野球では、甘いマスクで「球界の玉三郎」と人気を集め、スター性もあって将来のエースと目されたようですが、怪我に泣かされたのは非常に残念です。
もし怪我せず順調に行っていたら、今頃球界の大御所になっていたかもしれませんね。

TOWA
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  by fukusho9 | 2009-11-01 22:13 | 福商野球部OB | Comments(1)

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